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episode2 スイカ

 照度を落とした夏の夜のバビロニア。

 黄がかった光の下、窓際のソファで慶一がいつものように外を見つめている。

 

 正臣は、テーブルの上の皿に視線を落とす。

 ミモレットチーズのスライスだ。

 持ち上げると、メロンの赤肉のような鮮やかな橙色が目に映える。

 美しい。

 ほおばると舌に濃厚なコクが広がっていく。

 ミモレットは粉ダニが作る珍しいチーズだそうだが、とてもダニが作ったとは思えない。

 続けて正臣は、辛口の白ワインを傾ける。

 口にのこった雑味が流れ、清涼感に包まれるのが心地よかった。

 

 満足の呼気を吐き出し、正臣は見るでもなく窓に目をやった。

 慶一がうまい棒をつまみに、安物のウィスキーをロックでぱかりぱかりとやっている。

 街灯の灯りに照らされたその端正な横顔を見ながら、昼間に観てきた映画の内容をふいに思い出した。

 

「慶一さん」

「あん?」

 酔っているのか、慶一はけだるそうに答える。

「死ぬ前になにが食べたいですか?」

 あの映画で、女が男にそんな質問をしていた。

「は?」

「最期の晩餐ですよ。なに食べたいですか?」

 慶一は傾けたグラスに喉仏を上下させ、窓下の人波を見つめながら答えた。

「スイカ」

「スイカ? そんなに好きでしたっけ?」

 好んで食べている印象はない。

「いや、別に」

「じゃあ、なんで死ぬ間際にスイカを食べたいんです?」

「話を聞いたからな」

「話? なんの――」と聞きかけた正臣は口を閉じた。

 シャンプーロマンスの件を思い出したからだ。

 微妙な間を感じとったのか、こちらに振り返った慶一が言う。

「お前、まさかあの話疑ってるのか?」

「想像の話は聞きたくないんですよ。スイカの話は本当かどうかってことです」

「俺の曾々爺さんの話だよ」

「ひぃひぃ、ね」

 曾が続くところに胡散臭さを感じたが、慶一から家族の話を聞いたことなどなかった。

 聞いてもいつも話さない。

「その話って慶一さんの父親から聞いたんですか?」

「それはどうでもいい。曾々爺さんの話だから本当だ」

「わかりましたよ。話してください」

 正臣は先を促した。

「しかたねえな」

 慶一はうまい棒の最後のひとかけらを口に入れ、指先についた粉をゴミ箱に落としながら言った。

「なんの病気かは知らないが、曾々爺さんが自宅で死の間際にあったときだ。

 家族が、なにを食べたいかって聞いたそうだ。

 爺さんもわかっていたんだろう。それが最期の食事になるだろうってな」

 

 正臣はミモレットを口に入れて聞いた。

「スイカを食べたいって?」

「ああ、だが季節は冬だった。もう半世紀以上前の話だ。

 当時、冬にスイカが出回ることはまずなかった」

「どうしたんです?」

「探したさ。家族、親族、出れるものは総出で探しに出たそうだ。

 でも見つからなかった」

「慶一さんがその無念を、みたいなことですか?」

「いいや。最終的に見つかったんだ。違う県まで出かけて行って三日がかり。高級果物専門店で見つけた。爺さんはスイカを食って逝った」

「お爺さん、嬉しかったでしょうね」

「さぁな」

 慶一はウィスキーを流し込んで言った。

「そういうことじゃないんだよ」

「じゃあ、どういうことなんです?」

 正臣は首を捻る。

「最後に食べるスイカってのはどんな味か。うまいかまずいかじゃない。その状況で、どんな味がするのか知りたい。だから、最期はスイカにしようって思ってる」

 そう言って慶一は外へ顔を向け、作り物のようなきめの細かい頬を窓から入る街灯に照らした。

「なぁ、正臣」

「なんです?」

「100年後にもスイカってあると思うか?」

「100年って、最期の晩餐となんか関係あるんですか?」

 慶一は窓下を見つめたまま目を細め、小さい笑みを作る。

「100年後に死ぬとき、なかったら困る」

「いくつまで生きる気なんです?」

 慶一は「そうだな」と微笑したまま原宿の街を見つめた。